HSPと内向型はまったく違う
HSPも内向型も結局は単なる名称でしかない
内向型を解釈しようとする際に、「それってHSPと同じじゃないの?」と思ったことはありませんか?
内向型診断を開発し、内向性の分野を研究している私たちからすると、HSPと内向型はまったく違います。
そこで、今回はHSPと内向型の違いについて、言及していきます。また、今回の記事では、HSPというものが、本当にあるとしたらという前提を含めたうえで、解説を進めた箇所もあります。
それでは、HSPと内向型の違いについて、掘り下げていきましょう!
HSPは概念、内向型は実体
HSPは勝手に作られた虚像!?
既に何度もこの内容に触れた人も多いと思いますが、HSP(Highly Sensitive Person=とても敏感な人)は、1996年にエレン・N・アーロン博士が提唱した「概念」です。
HSPは病名ではありません。例えば、糖尿病なら
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糖尿病の場合、早朝空腹時血糖値が26mg/dL以上、もしくは、75gOGTTが200mg/dL以上、随時血糖値が200mg/dL以上、ヘモグロビンA1cが6.5%以上
というかなり具体的な診断基準がありますが、HSPにはこうした具体的な基準があるわけではありません。
あくまで、HSPという概念を決めて、その概念に沿った質問票で、「あなたはHSPっぽいですね」と診断するものが存在するだけです。
HSPは自分の環境感受性が激しすぎるため、社会的に様々な困難や障壁を受けやすいとされています。「その人の感受性がどれだけ激しいか?」という感受性のスコアなるものがあって、初めてHSPの本質が見えてくるわけです。
内向型は実体として捉えることができる
一方、内向型も、与えられた情報を使って深く内省することができるという意味では、敏感な人と位置づけることができでしょう。
しかし、内向型というのが、外向型の人がいて、社会全体の差異として、自分を捉えることができます。刺激のスコアなどを割り出さなくても、発言や文章や振舞いを分析すれば、感覚的にどれだけ内向型かどうかを捉えることができます。
また、内向型を生かすという意味では、実質的なスコアを図る必要はありません。HSPは、病気・疾患というベクトルへ向かおうしている雰囲気があるからこそ、より具体的な検査内容と診断基準が求められるわけです。
HSPは絶対的、内向型は相対的
HSPが真実になるには「絶対値」が必要だ
HSPが胡散臭いものだと認知されるのは、HSPの使われ方に対して、その人のHSPだと結論付ける絶対値が不足しているからです。
内向型は常に相対的なことだけで事足りる
内向型そのものは「飽きっぽい」とか「凝り性」とか「人懐っこい」というような表現価値と変わりません。
その人の持つ内向性の絶対値を医療の分野で求める必要もありません。その人の内向性の度合いや癖をなんとなく捉えて、その人の目標・価値観・スキル・マインドセットなどを分析すれば、その人がより成功と幸福を掴む正確なアドバイスを出すこともできます。
社会のあらゆる結果もまた、他人との相対性で成り立っています。このため、内向型というのは、絶対的な数値を図ることよりも、曖昧ではあっても相対的に自分がどうであるかをかき集めることが重要になるのです。
HSPは生理的事情、内向型は認知事情
HSPは過剰な刺激によって身体にダメージが及ぶ
HSPとは、外的刺激によって内部に引き起こされる生理現象のことです。 過剰な刺激を受けることによって、どうなるかというと、
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息が苦しさ、吐き気、発汗、震え、過呼吸、頭痛・目まい、しびれ
の症状が出ると言われます。では、なぜ、このような生理現象が起こるかというと、
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不安、危険、恐怖に反応する扁桃体が強く働く
からです。HSPは、刺激に対して素早く過剰に反応して、生理的にネガティブな状況になることだと言えるでしょう。HSPは認知以前の問題にフォーカスしていると言えます。
内向型は、刺激というより認知に対しての反応に個性が出る
内向型を理解するなら、刺激よりも、認知に焦点を当てるべきです。認知とは「それが何であるかを判断したり解釈したりする過程」のことです。
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内向性が高いということは、「それが何であるかを判断したり解釈したりする過程が広く、深く、複雑であること」
と言えるでしょう。HSPにおける「刺激と生理現象」とはまったく違うベクトルですよね。
HSPは先天的、内向型は後天的
HSPは生まれ持った気質
HSPの定義では、生まれ持ってとても敏感な反応を示す体質になってしまい、生涯、変わることはないとされています。
内向型は生まれてから変わる感受性
内向性というのは、自身の目標、好み、認知、環境、経験、スキル、置かれた状況などが組み合わさって出来上がった複合的な感度や感受性です。
内省が好きな両親のもとで生まれ、家族のコミュニケーションで内面に関するディスカッションを日常的に行い、学校や習い事を通じて、相手の心理を深く捉える訓練を重ね、さらには自分精神性や創造性をアウトプットする環境に長らくいた人は、豊かな内向型の人間に育っていくでしょう。
非常に複合的な要素が絡んでますよね。過去の複合的な積み重ねで、内向型になるかどうかが変わるということです。
HSPは全人口20%、内向型は全人口約半数
HSPの割合は全人口の15~20%
HSPは約5人に1人、もしくはそれよりも少ない割合でHSPの人が存在します。
100人の組織やコミュニティで、15人から20人がHSPです。75人から80人とは、「共感してもらえない」「感覚が合わない」思うことが多くなります。
内向的な人の割合は人口の約3分の1から2分の1
内向型の割合については、様々な主張があります。15%、20%、30%、40%、50%…
内向型の中で、さらに内向性の高さを3つに分類し、一番上のグループが、全人口の何人になるのかという視点も持ってみたいですね。
ただ、社会の中での相対性で内向型か、外向型かが複合的に決まることを考慮すれば、内向型の特徴にグラデーションはあるかもしれませんが、約半分が内向型になると言えるでしょう。
非常に内向性が高い人ばかりの集団の中においても、「この人は、自分より外向的だ」という感覚を持つことになるでしょう。そうなると、その人の感覚では内向的でも、外部から見た実体は、「その集団の中においては外向的」と映ることになるでしょう。
HSPは認知を止め、内向型は認知を促す
HSPは諦めを促す
HSPであることを嬉しく感じる人はあまり少ない印象です。それよりも、HSPという概念があることで、「自分がHSPである」と認知することで、何かしらの精神的な不安を和らげる効果があるように思えます。
「HSPなんだから、仕方がない」という諦めの認知を持つことで、あらゆることに対して「私はHSPだから」という盾を突きつけることができるようになります。
多くの物事をHSPを理由にして、思考停止してしまうと、物事の認知は狭く浅いものになるでしょう。これは、複雑な認知体験を繰り広げられる内向型とは真逆の性質と言えるでしょう。
内向型は1つの態度や姿勢のようなもの
内向型とは、情報や物事を受け取るときの特徴的な態度や姿勢に過ぎません。広く深く複雑に認知を施せるのが内向型です。
内向型独自の認知の仕方を、何と組み合わせていくかで、大きな成功や幸福を呼び込むこともできますし、逆に大きな失敗や不幸を呼ぶことにも繋がるのです。
HSPは点の感受性、内向型は線の感受性
HSPは1点の刺激に対して強く反応する
HSPは、1つの出来事を点で感受した際の反応のことです。点で打たれ続けると、脳や体や心が疲労しやすいのが、HSPと考えるべきでしょう。
内向型は認知を繰り返し線を作る
内向型の内向的感受性というのは、1つの物事を反射的に感受した先に、その物事を自己対話や内省によって、より多層かつ深層に向かって処理していく性質です。
内向型とは、認知を繰り返し、線を作るような処理を、自然に多く広く深く取ってしまうようなタイプの人のことを指すのです。
HSPは外向的、内向型は内向的
HSPは抽象的、内向型の人にとってHSPは疑わしく映るはずだ
もしも、豊かな内向性を培ってきた人が、HSPの内容を掘り下げたとしたら、HSPについてとても「浅い」「表層的だ」という印象を受けるでしょう。
HSPに関する書籍に触れても、脳科学系の書籍より、専門性やエビデンスに乏しく、雑誌や個人のエッセイを読んでいるように思えてしまうのです。
私たちの見解では、豊かな内向型の人は、自称HSPを堂々と名乗るようなことをしません。
表層的で分かりやすいため、「高刺激で外向的だが外向力が低い外向型」の人に、HSPというフレーミングが気に入られているように感じてしまうのです。
HSP専門カウンセラーを名乗っている人もいますが、内向性が高い人からすれば、「HSPという不確実性が高いものを、自ら専門家として背負っていくなんて到底できない」ってなると思うんですよ。
HSPの分野は、外向型の人に好まれる
先ほど、内向型は「線の感受性」と指摘しましたが、内向型は、どんどん時間と共に、携わる分野や環境を通して、内省を繰り返すわけです。
そうなると、不確実で疑惑の高いHSP分野を、自分の人生で専門として背負っていこうという発想にはならないと思うんです。
こうしたことから、HSPって分野は、外向型の人に刺さるのかなと解釈しています。もしくは、内向的な認知に憧れる外向型の人に、とても刺激的でちょうどよい深さなのかもしれません。
その深さは、内向型の人からすれば、浅くて内省の道具にもならないように思えるんです。
HSPとは、HSPと認知する人を豊かにすべきだ
HSPで立ち止まるだけでは幸せは生まれない
自分がHSPだと決めつけることで、もう自分は変わらなくていいんだと、決めつけてしまう人も少なくありません。
HSPが、繊細で悩む人の思考を止めてしまうきっかけになってしまってるんです。
HSPの枠組みを盲信してしまえば、HSPの視点から抜け出せなくなります。すると、他の可能性や考え方や論理を受け入れなくなってしまう可能性もあります。
こうなると、より多くのチャンスや幸福を落とすことになります。HSPという概念が正当に存在しようが、しなからろうが、世の中というのは、複合的なスキルやアイデアや認知や経験やマインドを絡めていくことが、とても重要なのです。
思考を止めずに、フル活用することで内向性の才能は開花していく
自分が何かにカテゴライズされるとき、フレーミングされるとき、もしくは、タイプ分けされるとき、大事なことは、それでも、疑いを掛けたり、違う可能性を見出そうする姿勢です。
物事の裏側、逆側への視点を持つだけでも、認知をより多様に繰り返すことができ、そこから自分をより素敵に好転させる手掛かりを見出すことができます。
内向型であるメリットは、ストックしたスキルや経験が相乗効果になりやすい点にあります。
認知を複雑に処理できるため、スキルや経験の生かし方がより多く芽生えるからです。
HSPの方も、環境感受性が高いという意味では、きちんと認知の姿勢を示せば、内向型と同じような気質を持ち、HSPであることを圧倒的な強みにすることができると言えます。
HSPの繊細さを生かすも殺すも自分次第。HSPであることをメリットにするために、ぜひ、これからも多様なスキルやアイデアや認知や経験やマインドをセットしていくことに向き合ってみて下さい。
あらゆる可能性を想起し、少しずつ変革を自分に与えてみて下さい。
その努力や投資の結果、人生の生きやすさが格段にアップしていくでしょう。